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歴史探訪 海老江湊
荒川河口は越後北方の良港である荒川三湊のうち、海老江は、かつて荒川と胎内川に面しており、江戸時代中期から明治時代に大阪と北海道を結んだ北前船の寄港地として栄えました。
江戸時代には幕府領となり、年貢米の積出港として栄えました。海老江地区には、かつての米蔵跡や船着き場跡があります。
関川村桂 五輪塔
鎌倉時代、荒川保に地頭として派遣された河村氏は最初大津に来た後、桂に城を建立し、居城しました。桂集落のはずれ、林の中の五輪塔で、河村氏の墓標、後鳥羽院供養塔、慈覚大師供養塔があります。人知れず、静寂の林の中に、鎌倉時代にゆかりのある五輪塔が、歴史の深さをより感じさせます。
歴史探訪 荒川 高坪山
3年連続(平成15年から17年)できれいな水質ランキングで日本一を記録した荒川は、生活用水、農業、水産、産業においても地域の重要な水利となしています。歴史的にも、水運として、また、河口の海老江湊は北前船の積み出し港として重要な川となっていました。しかし、源流を近くとする地理的な環境、流域が脆弱な地質から、昔から水害の多い川でもあります。伝説や川を鎮めることを祈願する神社からも、昔から水害が多いことを物語っています。
歴史探訪 荒川神社
809年創立とされる平安時代の延喜式にも載る神社で、荒川の洪水を鎮めるために創立されました。社殿から鳥居を見て、向こう側に荒川上流が見え、度々の荒川の洪水を何とか鎮まるようにとの、先人が思いが偲ばれます。 
日本最古の石油発祥の地(シンクルトン記念公園)
胎内市黒川に日本最古の石油発祥の地(シンクルトン記念公園)があります。
ここは、日本最古の石油発祥の地とされ、日本書紀によると大和時代に第三十八代天智天皇(668年)に、越の国より採掘された燃水と燃土が天智天皇の都に献上され、「越の国 燃ゆる土 燃ゆる水をたてまつる」と記されています。
滋賀県近江神宮でも、近江神社燃水祭で黒川からの使者により燃水献上の儀が、厳修されています。
英国人のシンクルトンにより、大量の採油が可能になり、今はシンクルトン記念公園となっています。
飯豊連峰(小国町樽口峠からの展望) 
百名山の一つであり、登山家からも愛される飯豊連峰は、越後山脈の北部に位置し、その山脈を源流の一つとする荒川水系の地域にとって生活用水、農業、水産、産業において、水循環、物質循環からも、重要な山脈となります。特に飯豊山は稲作信仰の山としてきた古くから周辺地域の信仰からも、歴史的にもその重要性が伺えます。
林泉寺
上杉謙信公菩提寺の上越市林泉寺には、上杉謙信公墓標すぐ脇に、荒川伊豆守墓標があります。その墓標の裏には謙信と武田の名が刻まれています。
川中島の合戦において、武田信玄に斬りかかり、傷を負わせたとされる荒川伊豆守がここ林泉寺に眠ります。
荒川保の武将が川中島の合戦で謙信公に代わり武田信玄と戦い、ここ林泉寺の謙信公墓標のすぐ脇に眠ることをあらかわ地区のどれだけの人が知っているでしょうか。
歴史と道の館
関川村の歴史と道の館には、垂水源二郎(河村氏の子孫)が上杉政虎(謙信)から送られた感状が展示されています。
垂水源二郎は荒川伊豆守とも称され、上杉方古文書によると、川中島の合戦において、武田信玄に斬りかかったとあります。これが事実なら、荒川保の武将が武田信玄に切りかかったという川中島合戦の新たな歴史となります。
牓示石
鎌倉時代に、荒川(河)保と奥山荘には水利権や砂鉄産地をめぐって境界争いがありました。
その境界史跡としての牓示石が関川村土沢にあります。現代も荒川保と奥山荘の境界争いを物語っています。